noteで遊んでみようと思ったけどすぐ辞めたがそれは自分の問題であってnoteが悪いわけではありません

 noteのアカウントを作って遊んでみることにした。インターネットで情報発信する玩具といえばtwitterなのだけど、なんとなく触らなくなった。たまに見る程度でツイートしていない。世界に向けてツイートするほどの価値が自分にあるんですか?と自分を客観視する自分がそう言ったのだ。確かにその通りだ。世の中を沸かせる素敵なツイートは自分の中から生まれるわけはないし、他所様のタイムラインのノイズである。自分を価値あるコンテンツだと思う人間だけがツイートしなさい。

 いや、そんなわけあるか。つまんないことだってウェルカム、それがインターネットの優しいところ。しかし誹謗中傷だって同様に生み出す。そういうtwitterのなんだか攻撃的なところとか、ネガティブなところとかがあんまり好きじゃなくなったのかもしれない。精神的な負担がある。俺が好きなtwitterは「ナントカなう」とか全然必要ない生存報告とか、くだらない大喜利とか、内輪ネタとか、そういうつぶやきにふぁぼがいっぱい集まる牧歌的インターネットコミュニーケーション…。まさにインターネット老人会のそれである。

 それはさておき、twitterがあんまり好きじゃなくなったのは本当。古来からの金言「嫌なら見るな」「メディアの違いを理解せよ」に基づき、イーロン・マスクには悪いけどなんか違うサービスで遊ぼうと思って旅に出た。そしてnoteを選んだ。いまさらnoteは…チョット乗り遅れ感があるが…。新しいもの好きなので、本当はなんかもっと新興のイケてるサービス無いのかなって思ったんだけど、意外と無い。買収の話でtwitter代替サービスどこ、って記事をいくつか読んだけどどれもパッとしない。本当はtumblrのことが一瞬よぎったが日本ではマイナーすぎて却下した。(余談。海外ではSNS疲れの若者がtumblrに集まっているらしい。余談終わり)短文投稿サービスはtwitterが強くなりすぎて他に移動するハードルが高すぎる。なんらかの事故でtwitterのサービスが終了するような破壊が起きないと難しいのかもしれない。人間誰しも住み慣れた土地や使い慣れた道具、そして考え方を手放せない。

 そう、それだ。価値観のアップデート、転換、破壊。新しいことを始めることによって退屈な日常にさよならバイバイだ。つまりnoteを始める。完璧だ。…いやそんな簡単なことで解決しないけど。でも小さなことから。…なんかこれ毎年考えてるような気がする。新しいことやるぞって。考えてるうちに1年が終わってしまうのよね。もっと積極的にこのテーマに取り組みたい2023年です。

グレイスワイン

 というわけで写真は「新しいところ行こう!」と思って行った山梨で撮影した一枚です。


 という記事を本名プレイでnoteに投稿しようと思ったんだけど、この程度の文章で本名プレイだなんて、どんだけ自分に価値があると思っているんだ、というまたもや客観的自分からのお叱りを受けたのですぐ辞めた。ごめんなさいnote。データベースの無駄遣いをさせた。おれにもっと面白い、有料でも耐えうるような魅力あるコンテンツを生む力があったらnoteを利用したのに。結局あとから自分で自分を振り返るためだけの文章であって、チラシの裏では保存がめんどいのでインターネットに投稿しているにすぎない。ならこのままはてなブログで十分だ。新しいことを始めると言ったな?あれは本当だ。でもnoteに文章書くことはやっぱりそんなに新しいことじゃねえ。もっと違うアクティビティにチャレンジだ!