JKハルは異世界で娼婦になった

JKハルは異世界で娼婦になった

JKハルは異世界で娼婦になった

 ひどいタイトル。異世界転生して娼婦。そういうタイトルの強さで良くも悪くも話題になってたので、発売した直後に買ったのだけどしばらく本棚で熟成させていた。最近世界史とか勉強系の本ばっかりだったので、たまには物語が読みたいなって積んであった本書を発掘する。ジャンル的にはライトノベルということになるのだろうか。あっさり読めるところも今のニーズにぴったりだ。

 タイトルの通り、現実世界で死亡、転生して、チート能力の無いハルは娼婦として体を売って異世界で生きることになる。いわゆる異世界転生ものは転生によって謎の存在からチート性能を与えられて活躍するか、現代の様々な知識を生かして主に科学的に発達の遅れている異世界において活躍をする、というのがお約束。しかし類似のお約束作品が多いばかりに、なろう系と揶揄されるようになっているのが現状。
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 「ナーロッパ」なる言葉が最近生まれている模様。異世界転生者にとって都合のよい文化レベル、科学レベルをそなえた世界。

 小馬鹿にするようなニュアンスを含んでしまっている「なろう系」だが、初期の頃はみんな素直に楽しんでいたと思うんだよね。おそらく投稿されている作品もきちんとした質のものが多かったのだと思う。WEB小説ってちょっと前まではおいそれと書いて発表するような場がなかった。作品を発表する場がどこにでもある、そのハードルが下がって誰でも作品を発表できるというのは、玉石混交という状況を招く原因になっていることは間違いない。twitterとかもそうだけど、発信のハードルが下がると、取るに足らない質の低い情報、もっと言うと害悪にしかならない情報ですら、世の中に現れてくることになる。それって良いことなんだろうか?

 確かに誰でも情報の発信ができる自由な状況は、個々の権利を考えれば喜ばしいことなのだけど、それを受け取る人々にとっては、ある程度フィルタリングしてもらった方が本当に大事なものとか、受け取るべき質を持った情報とかが確実に受け取れるような気がする。たぶん世の中すこしずつそういう空気が出てきて、自由が許したゴチャゴチャした情報の濁流に辟易しつつある。そうするとちょっとずつ制限してもらうことに価値がでる。ピックアップとか、フィルタリングとかそういう言葉でも良い。んで、整った空気を吸っていると、やっぱり闇鍋みたいな中から自分で選択する状況を求めるようになる。自由→制限→自由→制限みたいな要求の振り子があるのかもしれない。結局無いものねだりなのが人間の欲求なのである。

 閑話休題。男尊女卑のストレスをベースに、溜め込んだ鬱憤を実は隠し持っていたチートスキルにより一気に打開する。それが明らかになる展開は見事で気持ちいい。物語である以上、なんらかの解決があるのだろうなと思っていたけれど、娼婦であることがそのように生きてくるとは。逆にそのチートスキルゆえに娼婦として生きる道を選んだのか。

 ポリコレ的なあれこれはやりたい人に任せるんだけど、物語としてはややあっさりしすぎている印象もある。ライトノベルとしては読みやすくていいんだけど。正直彼女のスキルが明らかになって、ひとつ山を越えただけで、登場していた様々なキャラクターが意味ある形で動いていたかというと物足りなさすぎる。これは続きを想定しているのか?ただなんかエピローグ的なものでまとめにかかっているので、これでお終いなような気もする。娼婦という題材からエロ描写もそこそこあるのだけど、どエロいかというと物足りず、物語としてもちょっと薄味。できればそのどちらかにもう少し色濃い味付けがあると良かった。

プロテスタンティズム

宗教改革から始まるプロテスタンティズムについて解説した本。めちゃくちゃ面白い内容だった。

第1章 中世キリスト教世界と改革前夜
第2章 ハンマーの音は聞こえたのか
第3章 神聖ローマ帝国のリフォーム
第4章 宗教改革の終わり?
第5章 改革の改革へ
第6章 保守主義としてのをプロテスタンティズム
第7章 リベラリズムとしてのプロテスタンティズム
終章 未完のプロジェクトとして

宗教それ自体にはあんまり興味ないのだけど、その中でうごめく人間模様にはすごく興味ある。面白い。宗教って何か神聖で清く善なる存在のようにみえて、その組織が大きくなっていくと解釈の違いから生まれる対立、貧富の格差等々、人間社会が持っている汚い部分がどんどん出てくる。宗教だろうが国家だろうが、会社、学校、家族もきっと同じ。人が集まって新しい組織を作るときは、なんらかの明確な指針にみんな同じ方向に向かってる。でもそれを維持することは難しい。

無属性やめたい

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 女性と遅くまで飲んでいて、恋愛の話になってるのに、全く自分がそのカテゴリに入っていないことの悲しさ。男性として見られてなくて、ただの人。無属性。女性と男性が反対の属性を持つ属性だとすれば無属性。ゲームなら弱点なくて汎用性があり、与えるダメージもそこそこ読める便利なキャラだが、現実ではただの悲しき存在…。嫌われたくなくて、キモいと言われたくなくて、人当たりの良い無害な人をやってたら、そこそこ生きやすい世の中なのだけど、肝心なところでパワー不足で役にたたない。こと恋愛においては、属性の違いが恋愛という関係に発展しやすいのではないだろうか。同じ属性でもそういう関係になれることは知っていますよ。難易度の問題ですからね。マッチョな男性性が忌避される傾向にあるこの社会だが、しかし女性が恋愛の対象と男性を選ぶ場合においては、意外とそれが魅力的に映るのでは。とにかく無属性の人をやめたい。考えてみれば大きく成功するような人は敵が多い。強い属性を持っているから、自ずと敵も強い反対属性を持つことになる。しかし同様に大きな魅力でもあり味方も多い。敵でなくて味方に組み込めば、多様な属性をパーティの中に取り込むことであり、様々な場面に対応できるようになる。光でも闇でも、土水火風、なんでもいいから、強力な属性を手に入れたい。無属性はゲームの初期の頃は癖がなくてどんなパーティにも組み込みやすいんだけど、結局終盤戦になると属性攻撃が重要になる。無属性とは初期の頃だけ喜ばれる特性なんだ。女性声優で例えると最初は都合のいい可愛いキャラやってれば、無個性、純粋、若さと新鮮さで受けるのだが、結局そればっかりではだめで、長く仕事を続けたいなら毒も喰らわねばならぬ。憎らしい役も下品な役もものにして、結局個性が生まれて長く生き残る。なぜ急に声優で例えたのか。ゲームの話で例えてたのに。

 しかしそういうメンタルには急にはならねぇな…。属性攻撃によってキモがられるのは嫌だ…嫌われるのは嫌…。今無属性を手にしているのは、社会と環境の中で一番自分が生きやすい形にステータス調整した結果なの!!!それで手に入れたものも沢山沢山ある。それを捨てて急にダーマの神殿には行けねえよ…。無いものねだり。本当にそれ。そこそこ気持ちが整理されてきたが、悪意の無いひとことでグッサリやられたので、その記録。ザックリまとめると都合よくモテたい。それや。でも現実はゲームじゃねえんだよな。

ベイビー・ドライバー

 音楽とのリンクが楽しい。BGMとしての音楽なのか、主人公であるベイビーが聞いている曲なのか。見せ方がおしゃれで格好良い。でも音楽を聞かせる方法に重きがあって、シナリオとかキャラクターの掘り下げとかはちょっとイマイチな気がする。楽曲の文脈とかを理解するとその辺りは深くなるのだろうか?Netflixで見たけど、歌詞の和訳が出なかったので…。そんなわけでは人が死んだり恋人と別れたりするけれど、全体的に感情移入はあっさりめ。ライトなオシャレ映画でした。手法は面白いよね。より物語とかが練られていたら、大きなカタルシスが得られたのかも。もっと音楽に寄り添っていくと、ミュージカルになるのだろうか。

銃・病原菌・鉄

有名なジャレド・ダイアモンドによる人類史の本。内容については下記のtogetterにざっくりまとまってる。名著と言われるだけあって、様々なところに概要がまとめられているのでそれで十分なくらい。具体的な例で何重にも補強される。割と同じこと何回も出てきてるな…というような印象も無いことはないのだけど。しかしそんな冗長なところも、ゆっっくり少しずつ読んでいた自分にとっては、そういえばそんなこと言ってた、って思い出すのにちょうど良かったりして。結局のところ、要点は下巻のエピローグにまとめられているので、本書の内容を思い出したいときはそこを読むだけでもいいかも。
togetter.com

 (いつもどおり)名著という権威付けによって読んでみたのだけど、個人的感想はほどほどな点数…。語られている事自体は面白いなーって思うのだけど、普通の世界史の方が面白い。ざっくり言って本書で語られているような人類史ってのは、自然の摂理や環境要因によって、辿るべくして辿った人類の歴史。そこ人間の意志があまり入ってこないのが物語として面白くない。歴史は物語じゃないんだけどさ。でもエンターテイメントみたいな面白さも感じてるわけ。国や民族の興亡には必ず人間の意志が介在してる。特に強い野心や汚い欲望が絡む人間の物語は本当にエンタメ。そしてその人々のエンタメかとも思える物語が、実は今に続く現実であるというのが最もワクワクするところ。ヨーロッパ史なんかはその辺がエグくて良い。古代から根付く白人至上主義とか。

市民ケーン

市民ケーン [Blu-ray]

市民ケーン [Blu-ray]

 何かと1番になる市民ケーン。ランキングに弱い。あと古典に弱い。ランキングに乗っている古典はとにかくすげぇに違いない。というわけで見る。なんか意識高い市民が自由と平等を求めて権力者と戦う映画なんだろうなって思ってたけど違った。その逆だった。うっかり金と権力が転がり込んできたケーンアメリカンドリームな話だった。そして世間的な成功とは別に、個人的な幸せみたいなものは得られずに寂しいなって言う。


 権力や金を持っているものが、持たざる物に富を分配するのは重要だと思う。んで、危険なのが劇中で示されていた通り、「感謝しやがれ」という態度になることだ。優しいとか慈悲があるとか、そういう善なる態度がいつのまにか傲慢さと入れ替わるのだ。一方で「やらない善より、やる偽善」という言葉もある。売名行為や、優越感、自己満足を得るための慈善行為。しかしそれによって救われる人々もいる。ならば理由はどうあれ「やる偽善」行為に価値があるという。結局受け取り手の感じ方の問題か。そうなのだ。これは受け取り側のさじ加減で行為の意味合いが変わるのだ。劇中で大統領の姪との関係が悪くなったのは、単にコミュニケーション不足とか、仕事と私どっちが大事なの!的問題かと思ったけど、歌手の方は仮に彼女がオペラ歌手を目指すことが本当の望みであれば良かったのよね。そういえば、オペラ歌手になるのは母の希望だとか言ってたよな、あのこ。なんでそれを本人の希望だという話にすり替えたのか。時代だろうか。両親の願いを叶える娘こそが最上だという理解だったのかな。そういえばあの子の母出てきたっけ。母が喜んでいる描写とかなかったけど。既に亡くなってるって設定なのかな?その辺覚えてない。話を戻そう。善意の授受の話。この物語では、パワーのあるケーンの善意が実は傲慢に変わっていき、善意の受け取り手はやがてケーンの元を去っていく、という構造になってる。それがアメリカンドリームの闇の部分だ、力あるものが陥る過ちだ、という事が語られているように思う。でもちょっとケーンの側にも立ちたい。善意の受け取り手は、それが常態化することによって、そのありがたみを忘れているのではないだろうか?そして自らの弱さを武器にして、さらなる善意を求める。卑しい態度だ。権力者の傲慢と、弱者の卑しさ。表裏一体。


 面白かったし、なかなかに含蓄があると思ったけど、映画ランキング1位的な感じはしない…。しないのは多分アメリカ人じゃないから。町山さんの市民ケーン紹介動画があったので貼り付ける。


町山智浩の映画塾!「市民ケーン」<予習編>【WOWOW】#186


町山智浩の映画塾!「市民ケーン」<復習編>【WOWOW】#186

 予習編の方でこの映画がいかに当時の革新的撮影技法をとりいれて撮られているか!ってものすごく熱が入ってるけど、現代の単なる視聴者にはあんまり伝わんないかなか…。あと映画好きといっても、撮影方法とか気にして観てる人がどれだけいるか…。確かに市民ケーンが産んだ様々な仕組みは指摘されれば、そうなんだ、すごいやって思うけど、それが当たり前になった現代の映像を見慣れていると、新鮮味が無いのは当然のこと。「これが初期のiPhoneなんですよ!!!!」って必死にiPhone3Gを高校生に見せても「へぇそうなんですか…そんで?」ってなりそう。妄想だけど。そうやって技術は普遍化していくのだろう。ただその道の始祖を再確認するというのは、温故知新という言葉が示す通り、時として新しい発想に結びつく。市民ケーンはそうやって現代にも評価される強度を得ているのだと思う。そうか、その道の始祖になるとその後の歴史で繰り返し紐解かれる。音楽もそうだ。最初に始めた人がとにかく強い。プログレキング・クリムゾンはいつまで経っても廃れないけど、そのフォロワーたちはその活躍している時代でパッと花咲いて散っていくではないか。その人々にしても次の変革につながる人々なのだとは思うけど。

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GRIII買った

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 GRIIIを買った。買ったけど買うことに目的があって、撮りたい写真が無くてなぁ…。即効性ならスマホが抜群だし。しかしデジカメで撮った写真はハッとするような解像感があったりして、やっぱりスマホのカメラが進化したといっても、専用機にはやはり敵わないのだなと感じたりする。

 どんなものなのでもそうなのだけど、低級なもので満足しているときは、高級なものの良さには気づかない。しかし一度高級なものを体験し、それに慣れていくと、低級なもの粗が分かるようになり、低級なものでは満足できなくなるのだ。カメラの話だけに限らない。あらゆる物の価値だとか、仕事やサービスの質だとか、考え方とか…。とにかく全ての価値観に汎用できる考え方だ。だから向上心を持つとどんどん上に行くことになる。そうでなければ低級な状態にとどまることになる。しかし低級な状態の方が幸福度が高いのかも。井の中の蛙大海を知らず、というけれど、大海を知らない蛙は、その小さな世界の王様で、自己が満たされて幸福だ。

 でもちょっと興味を持つと情報がいくらでも飛び込んでくるこの時代において、井戸の外の世界が無いことを無視しては生きていけない。そのとき上に行こうとしなければすっぱい葡萄理論で自分を守るか。守りきれる?現実が激しく襲ってきて、惨めで死にそうにならない?本当はもっと上に行きたいって認めたほうが良くない?でもその努力ができない自分を認めるのが嫌なの?結局惨めじゃない?そう思わないならいいです。なんか趣旨がずれてきた。

 とにかく向上心を持ち続けよう。その意志がきっと世の中を豊かにする。カメラなんて何でも良いんだけど、ちょっと良いのを選んでみたのさ!特に必要ないもの?しかしエンタメとはそういうものなのでは?エンタメ無くても死ぬことはないよね。必要ないよ。でも必要ないものに夢中になれることこそが、人生を豊かにすることだと思うんだよね。そうだね、写真なんて殆ど撮らないけどね。全てはそこそこ高価な玩具を買った言い訳です!