もう無理なのよ

 合コンらしきものに誘われた。でも強烈に行きたくない。飲みの席では彼女欲しいですね〜みたいな事を言った気がするが、そんな事をまともに受け取るな。40になったらそんな恋愛イベントなんて交通事故みたいなものだ。基本は望まぬ。仮にあったとしても突然に、偶然に発生するしかない。わざわざ事故を迎えに行くバカはいない。昔はシータを待ってるパズーだと表現したが、そりゃ未来のある若者の態度だ。おじさんにとってそれは交通事故だ。痛みを伴うし、望んで発生させるような出来事ではないんだ。合コンと男女の出会いの場を無理矢理発生させるイベントだ。つまり初対面かつ、ステゴロの人間コミュニケーションが求められる。肩書に頼ったコミュニケーションに慣れたおじさんには、そんな過酷なサバンナでは生きられないのだ。剣と盾と魔法でしっかり準備を整えたのに、そんなもの捨ててかかってこいよと言われて銃を捨てるのはベネットだけでいい。

鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎

 鬼太郎の映画があんまりおもしろくなかった。ゲゲ郎と水木の関係性が良かったというのが世の中の評判だったのだが、まさしくそこが弱すぎるだろというのが自分の感想。具体的には、

いつものようにゲゲをキメさせて身体を触らせて、映画の内容については「リアルに『鬼太郎』の内容が入っていて、とてもおもしろくて楽しい」「シナリオ読んで面白いけど、映像を見るだけならそこまで印象に影響が無いし、大人でも十分楽しめる」なんてコメントをネット上で流しあったりしたのだ。実話ベースや、実話に基づいてるのに、色んな

 Anond AIに「具体的には、」以降を書いてもらったらこんな感じになった。なんか意味も通らないし、どこからどういう理屈で文章を生成しているのだろうか。おまけに最後なんだよ。なんでそんなところで止まるんだよ。

 ChatGPTくんの尤もらしさをみたまえ。

ゲゲ郎と水木の関係性が良かったと言われている鬼太郎の映画について、私の感想はやや異なるものでした。確かに、二人の絆は映画を通して描かれていましたが、その描写があまりにも単調で深みに欠けると感じました。

まず、ゲゲ郎と水木の友情が映画の中心に据えられていたことは確かです。しかし、その絆があまりにも表層的で、キャラクターたちの心情や成長に関する描写が不足していたように思います。物語が進むにつれて、二人が直面する困難や葛藤があまりにも軽く扱われ、感情移入が難しい状況でした。

また、物語の途中で登場するキャラクターやサブプロットが散漫で、本筋との関連性が希薄でした。これが逆に、全体の流れを妨げている印象を受けました。鬼太郎の世界に新たな要素が導入されることは悪いことではありませんが、それがうまく統合されていなかったように感じられました。

さらに、映画全体のテンポや編集にも一部難がありました。一部のシーンが長すぎるか、逆に短すぎて情報が欠落している箇所が散見され、ストーリーのリズムが不安定でした。これが視聴者の没入感を損なってしまったのではないかと思います。

総じて、鬼太郎の映画は期待していたほどの深みや感動を感じられなかったと言わざるを得ません。ゲゲ郎と水木の友情が強調されていたにもかかわらず、その描写の浅さや物語の構成上の課題が、全体の印象を薄くしてしまったように思います。

 尤もらしい感想の集合体って感じ。具体的なことなんにも言ってねぇ。

 というわけで最後に人間が少しだけ書くのだが、あの二人がバディとして信頼しあうようになった理屈が薄いように思えて、最後まで水木の行動に納得感がなかった。あのままお嬢さんを連れてトンネルを抜けてしまった方が個人的には筋が通る。水木は利己的な人間にしか見えなかった。ゲゲ郎に対してそれほど感情移入する背景が水木にあるか?ゲゲ郎だって水木を信頼する理由がないだろう。最初に約束を破られて、そのあとそれを払拭するほどの行動があっただろうか…?ゲゲ郎があの村で自由行動できるようになるほどには水木が努力したのか…。それを恩と感じたと…?まぁそう言われればそうだけど、ゲゲ郎が水木を見直すみたいな描写は差し込んで欲しかったかな。なんでも説明しないとわかりませんのね読解力の低いバカがと言われるかもしれませんが。わかりやすさとかじゃなくて、その人間関係を主軸にしてんだから、その描写に関しては丁寧にやるべきでしょ。殺人事件の云々とかは超能力で解決しちゃうんだし、そこには何の深みもないのよ。この物語のキモは人間関係だけなのよ。それしか観るところないのに、その描写がいい加減じゃダメじゃん。アクションシーンなんておまけすぎるのよ。そんなところにリソース割かなくていいから。全体的に余韻の無い展開で、今風のどんどん説明していく映画だなって思ったよ。個人の感想で好みですからね。

 

made by copliot

 

元旦から一日仕事した

 年が明けたが、年末年始を一緒に遊ぶ友達が今年はいない。ニューイヤー駅伝を観終わったあと仕事することにした。発注書を作らないと行けない案件が3本ある。年末に一つ片付けた。1月末までに残り2本。こいつの作業が仕事の中で特に重たい。本を読んで必要な素材をリストアップする。全て場面にぴったりのオーダーメイドをそれぞれ発注できれば楽だし素敵なものが仕上がるだろう。しかしそういう予算は無い。兼用を基本として発注しなければならぬ。めんどくさい。ただでさえおれは発注数が多いんだ。全てのリストアップが終わったあと、これじゃ発注が通らないだろうと点数を減らす。自分の中では違うものなのだが、他人からはそう認識して貰えぬだろう。他人の金で制作する以上、それらの人に伝わる制作物でなければ意味が無い。自己満足ではダメだ。だからやや不安を感じながらリストを削っていく。ただ、同じことを10年くらいやっていると、勘所というか、思い切りというか、そういう作業を前に進めていく為のマインドセットめいたものが身についたと思う。そんなわけで元旦は発注書を書く。今作業しているのはオーダーメイドを沢山入れてもいいやつ。だからいつもと違ってざっくり形を編集しながら作業を進める。このあと全部綺麗に作り直すので、ある程度具体的にしておいたほうが精度が高いのだ。今日は40%くらい終わった。できれば2日で終わらせる。地震があったので途中からそれどころじゃ無くなった。

Copilotで作った画像

 

ハリポタ全部観た年末

 ホグワーツレガシーが23年2月に発売。いろんなVtuberが実況するから興味が出てきて、ゲームやってみようかなって思った。でも原作知ってたほうが良いかなって思って映画を見始める。原作と言いつつ、本読まないで映画なんだけど。ハリー・ポッターシリーズ全然観たことなかった。スターウォーズもそうだったけど、タイミングを逃すとこの手のシリーズものは観るのが面倒になる。ワンピースこれから追っかけるのメンドクサって思うのと一緒。んで、12月30日に死の秘宝Part2が観終わった。本を読んでないので、あんまり文句言えないんだけど、なんかご都合で物語が進みすぎてなんかイマイチだった気がする…。というかいらない脇道の話が多すぎる。本筋に関係ないお使いクエストの多いRPGようだった。ハリー・ポッターの人生に関わるメインストーリーは3時間くらいにまとまる気がする。たぶんこれは、数年ごとにちょっとずつ味わうから良いのだろう。そうすると不要な脇道も話題として共有しやすい。ただ一気見すると、要らん要素が多すぎて邪魔過ぎる。それこそ倍速どころか4倍速くらいで字幕を追うことになる。ハリー・ポッターとその両親、ダンブルドア、スネイプ、ヴォルデモートしか必要な人がいない。後半の話はハーマイオニーとロンすら存在感が薄い。初期の3人の凸凹したところを活かして問題を解決する感じが良かったし、ズッコケ三人組的なところが良かったのに。どんどん話がダークになってきて大人っぽくなるのだが、その割に緻密さはなんか足りない気がして、新しい人間とかアイテムとか情報とか、次々に付け足される感じ。うーん、納得感が薄い。唯一、スネイプの物語はカタルシスがあってよかったと思う。スネイプの物語だけにフォーカスして総集編作ったら意外と良いんじゃないだろか。ちなみにゲームへの熱意は割と早めに失われた。

 

苦手な場所

 人数が多くてうるさい飲み会、最悪。居場所自由で固定の席がない立食、最悪。二つの最悪があるという言葉の矛盾。よく耳にする「最も素晴らしい選手の一人」って、最も素晴らしい選手が二人以上いるんかい!つまり評価基準の違うので、ある点で最悪であり、違う点でまた最悪であるということだ。うん、まぁ理屈はわかるけど昔からモヤる表現である。MOMが二人いるような話。ディフェンスとオフェンスについてMOMが一人ずつ。うーん。次第に間違った優しさによって全員にMOMが与えられたりするんだよね。「よく走りました」「よく声を出しました」「よく頑張りました」「気持ちが伝わりました」んで、ベストオブMOMが選出されると。つまりMOMは本来のマンオブザマッチという意味合いを失って、ただの個人評価コメントに成り下がる。敬意漸減。その果てに生み出されるベストオブMOM。ゆる言語ラジオで解説されていた「させていただく」現象だ。

 という見えない敵と戦う話はともかくとして、最悪な状況について整理したい。酒を飲むと人は気持ちが大きくなる。気持ちが大きくなるというのは、普段の謙虚さや常識が無くなることだ。端的にバカと言っていい。酒を飲むとバカになりやすい。バカが集まったときに、まだバカでない人間が取れる選択肢が二つ。バカになって頭悪い側に加わる、それとバカを遠ざけて静かにしている。バカは嫌いじゃないし、バカになるのは気持ちいい。しかし意図的にバカになるのは難しい。それは才能だ。まずバカになる為には他人の迷惑とか、冷たい視線とかを無視する必要がある。そんなことできるか?自然にできるとすれば気心知れた友達とプライベートな空間であることが条件だ。大きな声を出しても、恥ずかしい振る舞いをしても自分の評価が下がらない状況。それ以外でバカになれるなんて、それは才能というしかない。バカという才能。つまりバカになれるのはそもそもバカ。トートロジーかよ。

 したがってバカじゃないやつの居場所は、バカを遠ざけた隅っこしかない。逃げ場のないバカだらけの飲み会は最悪だ。バカは声がでかいしリアクションもでかいし、自分を抑えられない。やかましい飲み会は最悪。うるさいバカに付き合って大きな声で話さないと自分の話が届かない。喉が枯れるし、話が伝わらない可能性もあるし、とにかく疲れるので黙ってる。バカの注意を惹かないように黙っている。そうするとコミュ障の暗い人間の出来上がりってわけ。バカに混ざれない陰キャはそうやって自己の陰キャ属性を濃くしていくのだ。この空気に混ざれない自分への苛立ちもある。なんでわざわざ飲み会に来てまで、隅っこで静かにしているのか。だったらそもそも参加すべきじゃない。時間の浪費やんけ。他に色々できたのに。サウナイキタイ。

 次に立食も最悪だ。立食は自由に動けてさまざまな人とコミュニケーションを図れるという機動性の高い形式だが、それがデメリットとしておれに働く。こういう不特定多数の人とお喋りしてくださいってルールは、「他人に興味がない」という能力とマッチしない。目の前の大して知らん奴の話なんか聞きたくないんじゃ。かろうじて仕事の話をするしかない。でも仕事の話は仕事場でしている。特にその人の良かったことは積極的に伝えるのよ、おれ。そうすると残りはその人の悪い話って事になるんだけど、そんな事こそこの場で伝える必要はない。修正して欲しい悪い点があるなら、そんな立食パーティみたいな場じゃないところで伝えろ。で、結局バカが多い少ないに関わらず、不特定と喋らなくて済むようにおれは隅っこへ逃避する。ところが隅っこには同じような他人に対する興味なし人間が集まり、それはそれで微妙な空気になることがある。せめてなんか自分のことについて質問してくれたら喋るのに…って思うけど、お互いにそう思っている。お互いに他人に興味がないからね。知りたい情報も、雑談として扱える話題も思いつかない。そして気まずい沈黙。天気とか、最近忙しいんですかみたいなふんわり会話をするハメになる。帰りたい。すぐ帰りたい。他に色々できたはずだ。残ってる仕事を片付けたり、サウナに行ったり。

 あとさらに付属すると嫌な要素。酔っ払ってキス魔になる女。女同士でキスしている分にはまだバカの範疇なのだが、そこにワンチャンおじさんがいると話が違う。おじさん達から下心を持ってキスをもらいたがるアトモスフィアが途端に漂い始める。女を介抱するフリをしてハグやキスを狙う。そういうラッキースケベ自体はまだバカな笑いの範疇なのだが、それを狙いに行く淫らなアトモスフィアが最悪なのだ。ただのバカな雰囲気から、おじさんの邪悪で淫らな意図が忍び込んでくるのだ。本当にその意図があるかどうかは問題ではない。おれがそれを感じるから感じるのだ。ハラスメントと一緒の理屈だ。その通り、おれがそのワンチャンおじさんの1人だからだ。でもそれを意思の力で制御しているんだ。その邪悪な下心を制御せずにバカのフリをしてラッキースケベを獲得しにいくおじさんが憎い。

エアコン寒すぎて夏の日差しで体を温める

 免許の更新に来た。講習の会場がめちゃくちゃ寒い。この中で働いている人々はかっちりした制服だ。きっと炎天下の中、薄着でフラフラやってきたおじさんがいかに寒さに弱いか分からないのだろう。寒いですか?と書かれてエアコンが切られた。おい、寒いような気はしてたのかよ。この手続き毎回やってるのか?この部屋絶対寒いよ。なぜ適正な温度を最初から目指さない。職員さんはあちーって思っているのだろうか。だから最初だけめちゃくちゃ下げる。講習が始まったら我々の寒すぎだろと言う念を感じてエアコンを切っているのか。毎回真剣勝負という事だな。

 講習が始まる。交通事故によって生まれた可哀想な人エピソードが挟まるのがとても嫌だ。事故によって生まれた可哀想な人の話とか、違反するといかに罰金を取られ、時間を無駄にするかという「損」の話をずーっとしている。論理ではなくて感情に訴えるタイプの説明。それだとルールよりも感情を優先するようなインターネットでよく見る感じの嫌な人が生まれませんか?

 正直、ルール、理屈を学び直したい人間はこの場にいない。とは言え「講習」という形でおれたちは強制的にこの場にいるわけなので理論を再度学び直す方が良いのではないだろうか。あんまり見かけない標識とか忘れるだろ。勘違いしてることもある。実線は跨いで車線変更禁止ですか?本当に?だからみんな雰囲気で運転するようになるのだ。合格するまで繰り返しテストとかで良いんじゃないのかな。パソコンでもタブレットでも用意してさ。テストがクリアできないからですか?バカに合わせて車の免許制度を作るのか?

 つまりそういう事なのだろう。俺たち人間はバカだし、バカに合わせて制度を作るしか無い。聖像禁止って言ってんのに、バカ用に聖像を作って布教する。あまりにも効果がありすぎてやっぱりエモーショナルな方法が感情の生き物でおれたちにぴったりという事だ。そして原理主義との争いが生まれる。歴史に裏付けられた手続きである。

 寒い。ひなたで身体を温めています。

鋼鉄紅女

 

 SFを読んだ。ミステリーもいいけどSFも発想を豊かにしてくれるエネルギーだ。いや、物語はなんでもそうなんですけど。考えてみれば感情を豊かにする体験におれたちは時間をかけ、金を払っている。ガチャやスパチャに金を払う行為を笑う奴がいるが、やはりそれは感情が動く事への対価である。「何も残らない」としても、おれたちが時間や金をかけるコンテンツ、アクティビティには枚挙に暇が無い。ディズニーランドで仲間とキラキラした思い出を作るのも、SSRをぶち当てて高揚感を得るのも同じ行為だ。ドーナツとマグカップが同じである事くらい自明である。そんな事をサウナの中で思いついた。そしてサウナとガチャも同相なのだ。

 それはそれとして本作は中華を舞台にしたSFロボットものだ。三体をはじめとして、中華系SFというのが流行っているらしい。それを判断するのは、いつも観ている書評ブログに取り上げられる事が多いからだ。サンプル1。しかし実際インターネットで調べて見ると、中国初の、もしくは中国を舞台としたSFというのが盛り上がっているようだ。まあそれすら個人的なバブルの中の都合の良い情報かもしれない。「インターネットで見た」はいつしか信用ならない情報である事と同義になってしまった。そんな事はどうでもいい。やはり中国という要素が強いパワーを発揮しているのは、現実の国力によるものであろうと思う。エンタメの強さは無関係ではないはずだ。個人の感想です。

 本作の主人公である武則天は、その歴史上の存在通り女性である。纒足を施されている古い風習の中で生きてきた女性だ。古い価値観、男尊女卑が社会に根強くあり、「女性は男性に奉仕する存在」という考え方が繰り返し提示される。この現代にこの価値観を物語の中で提示するというのは、明らかに創作上の仕掛けであるのは間違いないこと。武則天は、この社会や仕組みに対して反抗する存在として活躍することになる。古い慣習を打破して運命を変えていく、また苦しめられた過去をもつ人間がそれらに対して反逆していくのは物語のお約束。社会から悪女として嫌われつつも、能力の高さで敵を倒し、アンチヒーローとしてむしろ認められていくのはカタルシスがあって気持ちよい。

 ところで登場人物の名前に偉人の名前借りるシステムは大変素晴らしい。物語を読む際に名前が覚えやすいかどうかは、内容の理解に大きく関わる事だ。似たような名前が多いと紛らわしいし、凡庸な名前だらけでも判別がつかなくなる。キャラ付け問題。創作だと意図的に違う性格とか年齢とかの登場人物を用意する。現実的でないといえばそうなのだが、俺たちは非現実を楽しんでいるんだ。明快なキャラ付けにより、物語の理解を助けてくれよ。髪色と髪型を変えりゃ顔のパーツは共通でも最悪何とかなる。それがオタクのリテラシーってもんだ。小説では使えないけどね。

 話が逸れた。とにかく有名な歴史上の偉人の名を使うのはめちゃくちゃ覚えやすくていい。中国が舞台になると、知ってる漢字なのに読み方がわからなくなる事が多い。初出でルビが振ってあることが多いけど、読み方を忘れる。何度も振り返って確認するか、勝手に読み方を決めて無理矢理先へ行くか、読みはぼんやりさせたまま字面の印象だけで強引に認識するか。ロシア文学を始めとしてカタカナ表記の名前も苦戦するところだ。そこへ来てこの作品の明快さよ。「武則天」「諸葛亮」「司馬懿」「朱元璋」この辺の名前はお馴染みであろう。このシステムを他の作品にも導入してほしい。

 最終章がなんかページ数少なくてしかもあっさり進むなと思ったら当然最後の最後にひっくり返す展開があった。2024年に次が出るらしい。日本語に翻訳されていつ読めるかしら。武則天の姉の仇討ちのために楊広を狙ったはずなんだけど、なんか拍子抜けするほど良いやつで…って言う話、結局どういう解決になったんだっけ…。

パイロットが精神ではなく手をかけて殺したと聞かされている。具体的な状況は不明。帰ってきたのは遺灰だけ。あれから八十一日、家族は打ちひしがれたままだ。理由は……戦死あつかいではないため、あてにしていた高額の戦死保証金が入ってこないから

これが姉の死因ついての説明で、

ようやくみつけた。女子の髪をつかんで顔を壁に叩きつけている記憶。これが証拠だ。

楊広とのつながりは上記の一文だけのような気がする。暴力を振るわれている女子が姉であるというわけでもないので、このような暴力性が隠されているということしか言ってない気がする。姉に関しては何かさらに回収があるのだろうか。