今更だけど「普通においしい」

 だいぶ昔の記事になるけど「普通においしい」について、ついさっき考えたことがあるので。

 あとは、「普通においしい」という言い方もそうですね。これも意味が分からないという人がいますが、どうしてでしょう?たとえば、ブルーチーズを食べたとき、人は、「クセがあるけどおいしい」という言い方をします。そんなふうに条件や留保をつける必要のある食べ物とは違って、ストレートに、一般の誰もが「おいしい」と同意するであろうような味の食べ物(あるいはその水準に達している食べ物)を食したときに、現代人は「普通においしい」と言うわけです。


 もちろんこのような条件や留保の無い単なるおいしさに対して「普通に」という冠を載せることもあるとは思うけど、どちらかというと「普通に」は、意志の正確な疎通を助ける為に用いられている気がする。つまり「おいしい」では本当においしいのかどうか分からないということ。

 と、言うのも「おいしい」と言っても相手を傷つけない為のお世辞である可能性があるし、何か食べて「おいしい」と取りあえず言っておけば間違いなさそうだ。我々はそのことをテレビを通じて嫌と言うほど知っている。「おいしい」の嘘臭さはテレビと育った世代が最も良く知っていることは理解して貰えると思う。もちろん我々も日常生活の中で意識する、しないに関わらずそういう風に言葉を選んでいる。

 そういう中で「普通に」が表現として生まれ、用いられるようになったことは、つまり「嘘やお世辞でなく(普通に)おいしい*1」という意志の明確するためには必要だったに違いない。「おいしい」は上記の理由でおいしくない可能性を秘めているが、「普通においしい」はその可能性は低くなっている。勿論、なお嘘である可能性は捨てきれないのだが。

 同様に「普通に最悪」と言えば、友人間で冗談で交わされる「最悪~♪」というちっとも最悪を感じていない馴れ合いとは全く違い、明確に不快を表すことが出来る。「普通に最悪」と言われたら気まずい。

 YESと言えない日本人が決断を避けるツールとして最も有用だった日本語が、明確な意志を持ち始めたということかな。言語と国民性は密接な関係があるから、そういう意味では国民性が変わりつつある証拠と言えるかもしれない(欧米かっ)。始めは不格好かもしれないけれど、今後本格的に浸透するかも。

*1:これが省略されて「普通においしい」