- 作者: ハックスリー,Aldous Huxley,松村達雄
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1974/11/27
- メディア: ペーパーバック
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1984年と同時のタイミングで購入したのだけど、同じようなテーマを持っているのであとで読もうと思っていたら、なんか年越しする勢いでした。読む量よりも買う量の方が多いんだからしっかたねぇよなぁ!
物語は、作品の世界観のベースとなる人間工場と条件反射教育の描写から始まる。あらゆる自由を無意識的に束縛すべく、階級毎に物理的な差を与えたり、幼少時における教育、とくに睡眠時教育と呼ばれる呪いを吹き込まれたり、とにかく凄まじく盲目的が人間を生成される課程が気持ち悪い。悩み、不安、感動といった社会を揺るがすような因子は存在しない。全てはソーマという安全ドラッグの前に快楽へと変わってしまうのだ。
案の定、本書のような作品にはイレギュラーが存在して、読者と感覚を共有する。すなわち「人間らしさを失ってそれでも幸せなのか」と。前半はバーナードがその役割を果たしていたのだけれど、地位を手に入れて向こう側の人間になってしまう。またそれも人間らしい一面だ。上手い。変わって後半を支配するのはサヴェジと呼ばれる旧世界の「野蛮人」。こちらはシェイクスピアを会話に引用したり、強い貞操観念を持った、現代人と比べてもやや古風な人物だ。サヴェジが新世界と対決する場面は、まさしくこの物語のクライマックス。言葉は通じるが、意味が通じない、そんなもどかしさが痛烈だ。
人間らしさを失って、なお幸せを手に入れられるのか?…人間らしさって何なんですかね?少なくともこの新世界の構成要素は、社会を成り立たせるための歯車である。厳密に管理される階級社会と職業、そして経済活動を滞らせない人口調整と、消費を促す思想教育。社会を構成するためだけに人間は存在していて、誰もが目的らしい目的を持って生活していない。しかしそれが幸せだったとして、果たして否定できるか?内に眠る「人間らしさ」によって否定する事ができるのかだろうか…??