人に聞く前に自分で調べろ、でも調べる前に考えろ!

 ちょっと前の記事。最近考えている事と、あまりにも合致していてビックリした。

[経済] いまコンサル業界などで注目されている「地頭力」とは?
http://r25.jp/magazine/ranking_review/10005000/1112008030605.html

 コンピューター、インターネット、携帯電話の爆発的普及と共に育った、デジタル世代とも言える我々は息を吸うようにあらゆる情報をあらゆる手段で検索することに慣れ過ぎた。分からない言葉は"とは"と、末尾につけてググれば大抵意味が即座に分かる。Wikipediaを見れば物事の成り立ちから周辺情報まで知ることが出来る。言葉の意味だけでは無い。例えば難しい政治的な問題に対する意見も、あらゆる人間の意見を検索によって摂取することが出来、そしてその中から自分にとって気持ちの良いものを自分の意見として取り込むことが出来る。

 知識の吸収という事に目標があるとすれば、その敷居は限りなく低くなっていると考えられる。しかしR25の記事ではこうある。

いま、この地頭力の価値はますます高まっています。誰もがたやすく情報を検索できる時代だからこそ、安直に検索エンジンで調べてしまう“ネット検索中毒” の人と、つねに自分で考える癖を身につけている“地頭系”の人とでは、考える力の格差がますます開いてしまう傾向にあるからです。

 そうなのだ、安直に答えを求め続けた結果が今になって悪い結果を招いている事をひしひしと感じる。そもそも知識とは、それ単体で価値を成すものでは無く、複数の知識を結合させることによって初めて意味を成すようになる。ネット検索で得られる情報は、そういう意味では断片であり、断片では知識としての価値は薄い。つまり、この断片を価値ある姿に結合させる力こそ「地頭力」ではないだろうか。

 私がネットを始めた頃、もう10年くらい前のことにだったと思うが、その頃は「ネット検索で大抵分かる」という意識が薄く、分からないことがあると掲示板で聞いて「他人に尋ねる前に自分で調べろ」と追い返されるのがどこでも常であった(勿論今も)。そしてその「他人に聞く前にまず自分で調べる」という意識は深く私の中に根付いた。だがその深く根付き過ぎた意識は、疑問と同時に検索ワードを打ち込むといった、自分の思考、つまり地頭力をゴソッと落としてしまう結果を招きつつある。

 しかし一方でこの地頭力不足という警告は、「最近の若い奴は言われたことしか出来ない」という古代からの決まり文句を彷彿させるものでもある。つまり地頭力不足は世の中に揉まれていく内にやがて体得していく力だとも考えられる。社会は検索して解決出来るほど単純な問題ばかりでは無いことは明らかであり、ほぼ全ての問題は複数の要因が絡み合い、従ってその解決方法は地頭力無しには産み出せない。

 とは言えこの問題は、思考する機会が減った、あるいは減らすことの出来る現状に置いては常に意識しなければならない事だと思う。確かに上記のように普通に生活することによって*1養う事の出来そうな力であることに救いがあるが、過去に比べてその速度が遅れてしまう危険はある。それは悔しい。「他人に聞く前に自分で調べろ、でも調べる前に考えろ!」を今後の重要な課題にしたい。

*1:普通の生活という定義がやや危険であるようにも思うが