魍魎の匣/京極夏彦

 アニメから入って映画版を観て、その原作に辿り着く、という見事なポロロッカ現象。先日やっとこ原作本を読み終わり、魍魎の匣シリーズをひとまず全て制覇か?

魍魎の匣 BD-BOX [Blu-ray]

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文庫版 魍魎の匣 (講談社文庫)

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 こうして原作を読み終えてみると、いかにアニメが原作の雰囲気を大事に作られているか、13話という尺を生かした作りになっているかが分かり、また映画がいかに原作の魅力を削いだものかが分かる。2時間という尺では絶対にこの作品は表現できないと思う。なぜなら膨大な情報量こそ、この作品の魅力の一つであるからだ。平行してバラバラに発生した物語があたかも関連性を持っているかのように見えてそうでない、事件の紐を解きほぐす京極堂の見事さ、そのカタルシス、それが魍魎の匣の大きな魅力なのだ。そういう意味ではアニメーションは尺、美術、演出、音楽、そして芝居…と非常に丁寧な作りで絶妙にマッチングしていたと思う。特に京極堂を演じた平田広明さんの説得力のある語り口調と言ったら惚れ惚れしてしまう。

 京極夏彦の作品はこれが実は初めてなのだけど、非常に知識豊富で、また物事の考え方が多角的な作家だなぁと思った。綿密な取材に基づくであろう作品内での設定や知識であったり、人間の心理的な部分にも非常に注意深い目線を持っていそうだ。とにかく既存の価値観が揺さぶられるような感じで、またそこが面白い。

 そう、動機とは世間を納得させるためにあるだけのものに過ぎない。犯罪など――こと殺人などは遍く痙攣的なものなんだ。真実しやかにありがちな動機を並べ立てて、したり顔で犯罪に解説を加えるような行為は愚かなことだ。それがありがちであればある程犯罪は信憑性を増し、深刻であればある程世間は納得する。そんなものは幻想に過ぎない。世間の人間は、犯罪者は特殊な環境の中でこそ、特殊な精神状態でこそ、その非道な行いをなし得たのだと、何としても思いたいのだ。つまり犯罪を自分達の日常から切り離して、犯罪者を非日常の世界へと追い遣ってしまいたいのだ。そうすることで自分達は犯罪とは無縁であることを遠回しに証明しているだけだ。だからこそ、その理由は解り易ければ解り易い程良く、且つ、日常生活と無縁であればある程良い。曰く遺産相続、曰く怨恨、復讐、痴情の縺れ、嫉妬、保身、名誉名声の保持、正当防衛――どれも解り易く、それでいて身の回りにはざらにないことばかりじゃないか。しかし、それが何故解り易いかと云えば、ありそうもない癖に実は頻繁に彼等の中でも起きている感情と、それは同質のものだからだ。若干規模が違うだけなんだ

思わず納得してしまう。