なぜ私だけが苦しむのか 現代のヨブ記

 どこかで紹介されてたのを見て、タイトルだけで「あー!なんという自分のこと!」と共感してしまって買う。Amazon見に行ったら売り切れてたから、あらゆる人が自分の事だと思って買ったに違いない。苦しんでいるのは自分だけでは無いという証左である。

 宗教にあまり馴染みのない一般的日本人(主語がでかい)な自分としては、「神様なんつー曖昧なシステムを自分たちで作ったくせに、その仕組みに苦しんでいるように見える」という感想を終始持ちながら読んだ。本書のタイトルが「なぜ私だけが苦しむのか」となっているのでわかりにくいが、原題は「When Bad Things happen to Good people」。善き人に不幸が訪れた時、とかそんな感じ?著者が「ラビ」というユダヤ教の教師であるので、ちょっと宗教的意味合いもあるだろう。「善良な人々に不幸が訪れた際に、神様を理由にしてはならない」というのが著者の主張の一つ。「不幸とはその人が犯した罪のなんらかの報い」「成長を促すために神が仕掛けた試練」「信仰心を試している」等々、神様が不幸をけしかけているというのは違うんだってさ。うーん…そもそも神様が不幸をコントロールしてると思ってないのでイマイチ刺さらない主張である。信仰心篤き人々は目から鱗が落ちるところなのかもしれないけど。つまるところ、不幸の発生は神様と無関係な所にあるので、神様を恨んではいけないし、怒りを神様に向けても無意味であると。そんで重要なことなんだけど、不幸によって傷つき、ボロボロになった心から立ち上がる勇気や情熱が生まれるのは神の奇跡なのだということだ。そんなバカな。

最後に「神は何の役に立つのか? 正しい人も悪い人も同じように苦しむのだとしたら、誰が宗教なんか必要とするだろうか」と問う人に、答えましょう。神は悲惨な出来事を防ぎはしないでしょうが、不幸を乗り越えるための勇気と忍耐力を与えてくれるのだ、と。以前には持ち合わせていなかったそれらの能力が、神以外のどこから得られるというのでしょうか?

本書より引用。どこから得られるってそれは人間の自然な回復能力なのでは…。そのように神が人間をお作りなさったという話になりますか?ネガティブな事件や感情に起因することは神様の関与する所ではないけど、ポジティブなことは神の奇跡ってそれ都合良すぎでは。いや、信じる人達がそれによって心の平安を得られるならそれで良いけどさ…。あ、でもなんらかの心の拠り所があるっていうのが、精神的回復薬になるっていうのはわかる話だ。なるほどそういうことか…!つまり神様システムとは「回復薬」だ。だから回復はできるんだけど、危険回避や状態異常無効などの防御的効果は無い。ちなみに過剰に回復すると傷つくことを恐れなくなって、攻撃的になるという側面も…。中世の宗教国家はそうして領土拡大したに違いない。

 ところでクシュナーがこの本で伝えたい事は、人間というものは見せかけの言葉で自分を正当化し偽りの幻想を抱いて生きるのではなく、苦しみも悲しみの時も、現実を直視し現実の自分を正直に生きる、その大切さではないかと思います。幻想の中には、本当の喜びも安らぎもないのではないでしょうか。ありのままに生きることの大切さを、理屈や理論ではなく心で培ってきたからこそ、人々に感動と共感を呼び覚ましてきたのだと思います。

文庫版によせての訳者あとがきより。宗教に否定的だと「神様システムを捨てろ!幻想を捨てて、現実を直視しろ!」と読めない事もない。