現代語訳 文明論之概略

序文から。

「文明論」というのは、人間精神の発達についての議論である。
ただし、一個人の精神の発達ではなく、天下の多くの人の精神発達を一体として捉え、その発達について論じるものだ。だから、「文明論」のことを「集団精神発達論」と言ってもよいだろう。

 福沢諭吉はこんなに昔から日本の問題に気付いて、それを提起していたんだ!って話が読めるぞ、みたいな内容の動画を見たような気がしたので買って読んだような気がした。福沢諭吉といえば超有名な思想家であり、「学問のすすめ」「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」「慶應義塾」「一万円」というキーワードは誰も知るところなのだけど、実際それ以上のことは何も知らなかった。学問のすすめも読んだことないけど、勉強しよう、みたいな話に違いない。表題ままである。それはともかくとして、「現代語訳」というだけあって読みやすい日本語になっていて、ほとんど引っかかる事無くすらすらと読める。原文を読んだことがないのでなんともだけど、江戸末期〜明治の人である福沢諭吉の日本語はちょっと現代のそれとは隔たりがあるのであろう。

 本書から伝わる、時代を経て感覚が変わってきたのだろうなと思う点は、日本と西洋に対する認識だ。原初の初版は1875年、明治8年8月20日。長く続いた江戸時代が終わり、西洋からのあらゆる思想や人物、品物がやってくる中で書かれた本なのであろう。福沢諭吉は大変その頃の日本に危機意識を持っていたことがわかる。現代の感覚から言うとちょっと偏り過ぎているきらいがあるくらいだ。とにかく西洋的なものを礼賛し、日本的な文化や思想を貶しているような印象だ。ちょっと気分が悪いくらいなのだが…それはともかくそのぐらい国の現状や未来を憂いていたという事だろう。

 正直なことを言うと、本書で指摘されている事柄の殆どにピンと来てない…。それはまぁ鈍いバカなのかもしれないし、国という単位で物事考えてない個人主義なのかもしれないけど…。福沢諭吉が危ぶんだ文明だとか独立だとかという点については、幸いなことに心配ないんじゃないだろうか。その感覚が合っているかどうかはわからないけど、もしそうだとするならば、それは先人の努力のおかげであるということか。