孤独という病

 そして最後に孤独という恐怖が残った。あらゆる価値が多様化、個別化していくなかで、弱い者は孤独の力に食われてしまう。孤独はあらゆる価値を負の方向へと押しやるのだ。孤独を無くす為に何が出来るのか。あらゆる技術によって人間と人間はコミュニケーションの手段を増やした。そしてそれらは孤独を無くす為のものだったはずだった。しかしそれらを手放したときに孤独で無くなった人間はどれだけ存在するだろうか。「有効に活用するだけ」の人間はいくらでもいる。ネットサービスにおいてはSNSやブログ、twitterとここ数年だけでもその盛り上がりは冷めることがない。しかし本当にその価値が評価されるのは、それらの土俵の外に出た時だ。現状ではむしろネットと対面のコミュニケーションとに差がありすぎて、むしろリアルでの孤独感をより高めることになる層が大きい気がする。いわゆるネト充。結局そういう層はネットでの充足感を求めてまたネットに帰って行く。テクノロジーを媒介したコミュニケーションという重力がどんどん強くなり、その圏内から抜けられなくなる負のスパイラル。大きくなるのは妄想、猜疑心、嫉妬、被害妄想、ルサンチマン…それらは大きくなりすぎて決壊したときにしか姿を現さないが、その姿を現したときは既に手遅れの状態だ。孤独はあらゆる価値を負の方向へ押しやる。孤独を無くす為に何が出来るのか。最も恐ろしい病。