「日本の伝統」の正体

「日本の伝統」の正体

「日本の伝統」の正体

 「日本の伝統」なるものについて起源を探り、ほんとにそれって「伝統」って呼べるもの?と解き明かす。雑学本。第一章からちょっと伝統ワードを拾ってみる。


初詣鉄道会社が宣伝して一般的に。明治三十年代
初日の出江戸時代の俳諧本には記述がある。海や山へ出かけて見るようになったのは交通の発達した明治以降
重箱のおせち「おせち」は節句になどで食べる祝いの料理の事。奈良時代くらいからある。やがてお正月料理になり、重箱につめたおせちが一般的になるのは戦後デパートの販売戦略
春の海お正月によく聞く曲。宮城道雄が昭和四年に作曲
箱根駅伝第1回は1920年日本テレビ中継が1987年から
六曜大安とか仏滅とかの事。元々は中国生まれの占い。明治5年に旧暦から新暦に移った時に、迷信だから禁止!とされてる。福沢諭吉も批判していた。しかし戦後復活。カレンダー売る為の戦略だとか
お中元/お歳暮/七五三一般的になったのは明治30年代。明治37年に日本で最初のデパート三越ができた事の影響が大きそう。デパートが盛り上げることで全国で一般的に
夏のうなぎ平賀源内が流行らせたという噂。だけど裏付ける文献はない。大伴家持(718-785)が歌の中で「夏には鰻たべろ」と言ってる。でもこの頃は蒲焼きじゃない。蒲焼になったのは1700年頃
恵方巻大阪ローカルな風習。平成元年(1989年)にセブンイレブンの一部店舗で売り出したら大ヒット。そこから全国へ
バレンタインデー昭和33年東京メリーチョコレートがキャンペーンを始めた。当初は苦戦したそうだけど1960年代末から70年代にかけて急速に定着。ほどなく義理チョコという発明。これによって消費が伸びた

というわけでホントに由緒あって古そうなものから、意外と最近のものだったり、最初が生活や文化に根付いた何かじゃなくて、ただの商売上の仕掛けだったものが定着したり。伝統っぽい存在を否定する気は無いけれど、何が何でも守らなくちゃいけないってほどの物でもねぇんだなと思ったりするものもある。自分が生まれた時にすでに存在しているものは、なんかはるか昔からあったような気がするし、それが世代を跨っていたりするもんなら、それこそ歴史に裏打ちされているかのような正しき伝統のように見えるだろう。実際は空気を読んだ右習えがいつの間にか定着するパターンが多そうだ。1000年前からあれば立派な伝統だが、100年や50年なら伝統ではないのか?いやそういうことでは無いだろう。時勢の問題。その時々の人が良いと思って踏襲しているだけのこと。伝統とかいう言葉に騙されることは無い。年賀状みたいなもので、違うツールに置き換えられて徐々に衰退していく事もあろうし、「なんでこんなことしなくちゃなんないの?」みたいな疑問が大きくなった伝統は放っておけば無くなるだろう。特に今は。ちょっと昔は「ならぬことはならぬものです」みたいな子供のわがままかよみたいな理屈でも、上の人がガツンと言えば「きっとなんらかの理由があるのであろう…」と受け入れざるを得なかったが、さくっとググればその起源や理由も分かるし、世間の声も聞こえてくる。

 んーでもそれって文化が堕落していく方向に流れていくのかな?伝統の名のもとに無理矢理にでも繋いでいくべきなんだろうか。いや、恐らくそのあたりも時代時代のチューニングを経て、その時勢に合った形に変化していくだろう。伝統ってのは人間関係を円滑にする為にするツールだと思うし。「面倒だけどやっておくと後々役に立つ」みたいなのは残る。でも逆に言うと廃れていく伝統ってのをなんらかのコストを掛けて無理矢理存続させる必要は無いって事。お金かけたりしてね。伝統ってのも言ってしまえばちょっと長めに流行っている行事や手続きっていう事なんだと思う。流行りならいつか廃れる。人は一度掴んだものを手放すのをめちゃくちゃ躊躇うからなぁ…。既得権益。新しい挑戦への恐れ。AIに仕事を奪われるといって怯える人々。違う。フリーライダー死すべし。