ブルックナーに続きブラームス

 先日のブルックナー本に続きブラームスブルックナーの対立軸としてブラームスが取り上げられていたけれど、ブラームス側からはほとんどブルックナーの出番は無い。ブルックナーという作曲家は、ワーグナー派であったという点で対立軸のひとつに数えられるという程度らしい。「赤いはりねずみ」を共有していた作曲家同士なのに、特別な接点が無いというのはそれだけお互いの音楽を認めざる物としていたという事か。確かブルックナー本には一度だけ食事をしたという記述があったなぁと思ったらwikipediaにもそんな記述が。

同じウィーンに住む者同士の反目は良くないと間に立つ人がいて、両者はブラームス行き付けの「赤いはりねずみ」で会食した。このとき、2人とも肉団子が好物だった事がわかり、打ち解けた雰囲気となった。そのときのブルックナーの言葉は「ブラームス博士!この店の肉団子こそ我々の共通点ですな!」。1896 年のブルックナーの葬儀にはブラームスは会場の扉にたたずんでいた。中に入るように促されたが「次はわしが棺桶に入るよ」と寂しそうにつぶやいたと言う。
ブラームスの性格

 また、交響曲を作曲すると言うことにおけるベートーヴェンの偉大さが分かる。そのことはベートーヴェンを崇拝するブラームスが、数々の曲を生み出しながらも、最初の交響曲を完成させるまでにかけた20年という時間から分かる。重々しいティンパニーが印象的な第1楽章は、まさにブラームスの苦しみ、頭を抱えて唸る姿が目に浮かぶようだ。またブラームスだけでなく、音楽性で反目するワーグナー派ですらベートーヴェンを基礎にしていることからも、その巨大さが伺える。

 ヴァーグナーと二十歳年下のブラームスを軸に十九世紀後半から二十世紀初期の音楽の歴史は回転していった。その回転は他律的美学と自立的美学の対立に還元できるほど単純ではない。ヴァーグナーは自信の楽劇の原理をベートーヴェンに求め、ブラームスもその交響曲の規範をベートーヴェンに求め、ともにベートーヴェンを自身の芸術の理想としており、いっぽうは指導動機とよばれた特定の動機の多様な形成と構築で壮大な楽劇の世界を組み立てていき、他方は徹底した動機労作をきわめることで四曲の交響曲室内楽作品においてソナタ形式の究極をきわめた。楽劇と器楽作品という両者の主要ジャンルの違いはあるものの、ブラームスヴァーグナーの創作と根底において相通ずるものを認識していたであろう。(本書P155より)


さて次はワーグナーベートーヴェンに手を付けよう。連鎖させて読み進めるとなかなか面白い。

ブラームス (作曲家・人と作品シリーズ)

ブラームス (作曲家・人と作品シリーズ)