明日のあなたへ:三浦綾子の好きになれない一面

 塩狩峠を読んで以来、三浦綾子の描く物語が大好きで、古本屋で見つけると、まだ読んでいない積み本が山のようにあるのに買ってきてしまう。常に三浦綾子の作品はストックがある状態だ。塩狩峠に始まり、泥流地帯、氷点、続氷点等、彼女のの作品の魅力は何かと言えば、そこに登場する人物の生きる姿である。心打たれる素直さや、罪を背負って生きる人間の苦悩、また時としてふっと姿を現す狡猾さなど、そのどれもが人間らしく映るのであり、どの人物にも共感することが出来る、そんな作風だと思う。しかしその全体を覆うのは、誠実に生きることの尊さである。心躍るような興奮は無いが、ジワジワと染み込んでくるそのメッセージは、少なからず自分に何らかの影響を与えている。

明日のあなたへ―愛するとは許すこと (集英社文庫)

明日のあなたへ―愛するとは許すこと (集英社文庫)

 だけど三浦綾子の全ての作品を肯定することは出来ない。それが出来ないのは、こういったエッセイ集のような場合に顕著である。もう読んでいて本当に嫌な気持ちになる。主張されていることに大きな間違いは無いのだけれど、なんだろうこの感じ、議論の余地のないオーラが漂うのだ。それというのは、三浦綾子が敬虔なクリスチャンであることが原因の一翼を担っているのは間違いない。というのも、各所で引用される聖書の言葉を盲目的に受け入れている点、そしてあらゆる主張の根拠を聖書に求める点、この二つがどうも自分と合わない。大事なところで聖書を持ち出されると、説得力を感じない…全てを否定するわけではないけどさ。ひねくれ者なんですよ、自分。

しかしこれは、と思う言葉が見つかったので、この本を手に取った価値はあった。最後にその言葉を引用する

どうしてこの私ではなくてあなたが?
あなたは代って下さったのだ