彼岸花

彼岸花 [DVD]

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 「日常系」というジャンルが様々な媒体において流行の傾向を感じる。大きな物語はあらかた消費され尽くされたのか、それとも共感を得にくくなったのか。アイドルだってそうだ。過去には僕らTVを見る側からしたら雲の上のような存在だったスター、まさに偶像と呼ぶに適当なアイドル!という存在は、いつの間にやら消費者の投票で右往左往するような…敷居の低さをどこか感じるような、隣の家の妹感覚だ。個人的には良いと思っている。というか人の感覚として、手に届かない神様を崇めているよりも、自分に近しい存在に寄っていくのは当然の事だと思う。遠くの親戚よりも近くの他人。まさしく現状にぴったりな言葉じゃないか。
 そんな訳で「日常系」と呼ばれるジャンルが今こうして沢山の作品のテーマとして取り込まれているのは当然の事のように思う。物語の価値は、人々の共感をどれだけ多く得るか、ということが個人的には最も重要だと思う。宇宙人、未来人、超能力者がいたらあたしの所に来なさい!…って実際はいないしなぁ。多分。いて欲しいけど。だからそう言う現実離れした要素を物語に登場させることは慎重にならないといけない。下手をすれば物語が遠くの存在になりかねない。どうしてそういう要素が昔はキチンとウケたのか…ってのは考える余地があると思うけど、ひとことには世情なのかな。要研究。
 そんな訳で日常系を肯定してきたけれど、ボンヤリと何も無いことがいちばんしあわせー!とネジの緩んだ中身のさっぱり無いシークエンスを繋いで「日常」とかドヤ顔してる作品が増えてきているのも事実…。いや、違うだろと。日常系ってのは何も無い日常のことじゃなくてさ。日常の中にも色んな人間模様があって、悲しい事とか楽しい事とか、怒ったり泣いたり…普段何気なく通り過ぎている生活の中に、実は喜怒哀楽が詰まってるんですよ!っていう見せ方が正しい「日常系」だと思うのです。何も無いことが日常なんかじゃない!
 で、そんなことを小津安二郎監督の「彼岸花」を観ていて思ったわけ。これこれ、これが俺の好きな日常系!娘の恋愛と親父の葛藤と…というものすごい古典的なテーマなんだけど、見せ方が物凄く上手い。小津安二郎を捕まえて上手い!ってのも何か不遜な話だけど。幸子が平山を騙して、娘の結婚を認めさせてしまうシーンなどはカタルシスすら感じる!

以下結末まで教えてくれる危ないあらすじ↓ 

大和商事会社の取締役平山渉と元海軍士官の三上周吉、それに同じ中学からの親友河合や堀江、菅井達は会えば懐旧の情を温めあう仲。それぞれ成人してゆく子供達の噂話に花を咲かせる間柄でもある。平山と三上には婚期の娘がいた。平山の家族は妻の清子と長女節子、高校生の久子の四人。三上のところは一人娘の文子だけである。その三上が河合の娘の結婚式や、馴染みの女将のいる料亭「若松」に姿を見せなかったのは文子が彼の意志に叛いて愛人の長沼と同棲していることが彼を暗い気持にしていたからだった。その事情がわかると平山は三上のために部下の近藤と文子のいるバアを訪れた。その結果文子が真剣に結婚生活を考えていることに安堵を感じた。友人の娘になら理解を持つ平山も、自分の娘となると節子に突然結婚を申し出た青年谷口正彦に対しては別人のようだった。彼は彼なりに娘の将来を考えていた。その頃、平山が行きつけの京都の旅館の女将初が年頃の娘幸子を医師に嫁がせようと、上京して来た。幸子も度々上京していた。幸子は節子と同じ立場上ウマが合い彼女の為にひと肌ぬごうと心に決めた。谷口の広島転勤で節子との結婚話が本格的に進められた。平山にして見れば心の奥に矛盾を感じながら式にも披露にも出ないと頑張り続けた。結婚式の数日後平山はクラス会に出席したが、親は子供の後から幸福を祈りながら静かに歩いてゆくべきだという話に深く心をうたれた。その帰り京都に立寄った平山は節子が谷口の新任地広島へ向う途中、一夜をこの宿に過して、父が最後まで一度も笑顔を見せてくれなかったことを唯一の心残りにしていたと、幸子の口から聞かされて、さすがに節子の心情が哀れになった。幸子母娘にせきたてられて平山はくすぐったい顔のまま急行「かもめ」で広島に向った。

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