字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ:映画字幕翻訳者の仕事が見える

字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ (光文社新書)

字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ (光文社新書)

 映画字幕翻訳者という職業を聞いて誰もが思いつく人は戸田奈津子さん。有名な映画を多く手がけ、その大胆な意訳が論議を呼ぶほどで、語学力の乏しい自分たちの映画の印象を決定づける「字幕」の力を感じる。筆者の太田直子さんもその映画字幕翻訳者の一人。自身を「字幕屋」と呼んでいる。その仕事内容は「台本から和訳して口パクに尺を合わせるように意訳して…」と書いてみると一見簡単そうに感じるが、実際は全然そんなことは無いというのが本書で分かる。

 何しろその数の多さに驚いた。巻末のプロフィールに手がけた作品は「1000本余り」とある。著者が1959年生まれで現在47歳だとして、23歳で仕事を始めたとすれば業界歴24年。飛び込んですぐに仕事が貰えるとは思えないので手伝いでなくメインで仕事を貰うようになってからは大体20年かな?そうすると約50本/年、約4本/月。大体1週間で1本こなさなければならない計算。字幕屋は当然著者一人では無いのでその数倍の仕事が業界には存在することに。単純計算なので正確ではないが、物凄いことになってる感じは伝わる。なおかつどこの業界でもそうだが、質を無視したスピードをとにかく求められていることもこの大変な状況に拍車をかけている。

 もちろん映画はそれぞれに価値観と専門知識が詰まっていて、その読解は困難。その場で調べてもすぐに忘れてしまう「ざる知識」になるのは必然。それでも仕事が次々とくると言うことは、自分の中に蓄えている知識よりも、外部の知識をいかに早く正確に検索して理解出来るかが重要だと言うこと。これってネットで情報が山のように手に入る自分たちの状況にも同じことが言えるよね。ちょっと前に「知識を知っているというだけでは、価値としては小さい」と会社の面接で言われたことを思い出す。激しく同意したもんだ。

 本書では「日本語が変だと叫ぶ」とあるように字幕屋の仕事紹介とその苦労と絡めて、その原因の一つとなっている「日本語の変さ」にも触れている。中でも「読めない」ことと「押し読ませ」が印象的。文脈から状況が読めない、教養の差から意味が読めない、映像から心情が読めない、そして言ってないのに無理矢理字幕を付ける押し読ませ。「教養の差」ばかりは世代間で異なる常識を持っているということで譲歩するにしても、その他の項については「想像力の欠落」がその原因。それはバラエティーで表示される字幕を見れは一目瞭然で、言ってもいない言葉が括弧書きで挿入されることがあるでしょ?本来なら文脈から読み取るべきものを、テレビ側がわざわざ用意する。想像力の欠落、語学力の低下。うーん、気をつけねば。

 個人的にはながら作業の出来る*1吹き替え映画が好きなのだけど、次に字幕版を観る機会があったときは本書に書いてあることを思い出すと思う。映画を観るときの楽しみをほんの少し増やしてくれた。オススメ。

*1:画面を見なくても状況が分かる。本当に理解できているかはさておき。