ドント・ルック・アップ

https://www.netflix.com/title/81252357
 仕事の合間に見る。スタジオで2時間仕事して、3時間の休憩があって、また1時間のスタジオ仕事がある。なんだこの3時間。詰めてくれよ。でもそういうわけには行かないのが難しいところ。3時間て微妙よな。会社や自宅に戻って一休み、ということもできるけど、移動時間のこと考えるとなんだか無駄なような気もする。かと言ってカフェでも行って時間潰そうとすると3時間はちょっと気がひける。コーヒー一杯でそんなに長時間居座るほど図々しく生きられない。というわけで、その場で映画を見ることになった。まぁそのスペースを専有しているという意味ではカフェでも一緒なんだけどよ。

 というわけで「ドント・ルック・アップ」を観る。何で見つけたんだったかな。あらすじでもう気に入った。巨大隕石が落ちてくる事が確定しているのに、目先の利益にとらわれて正しい判断ができない人たち。このコロナ禍にあって本当にありそうな話だなって思った。科学よりも印象、事実よりもフィクションが大好きな我々。見たいものしか見ない、信じたいものを信じる。容易に映画の内容は想像できた。んで想像通りの展開で、最悪だなぁ、ひどいなぁって思いながら最後まで一気に見てしまった。果たして現実で同じことが起こったとして、劇中のような状態を避けられるだろうか?世界が滅亡しますってそんな話は急に信じられないと思う。そんなデマを誰が信じるんだよってなるよね。正常性バイアス。政治はどうだろう。メリル・ストリープが演じる大統領は、スキャンダルを塗りつぶすための道具として利用していた。これ日本版だったらどうかな。6ヶ月後に滅亡だって言ってるのに、事実の検証に3ヶ月くらいかかって、対応策を検討して2ヶ月くらい経って、汚職が発覚して人事がリセットされた後、やりがい搾取の突貫工事で1ヶ月って感じかな。日本だけだと何にもできないから米国と歩調を合わせて慎重に注視してからの、千羽鶴アタックかな。いやもう色々サイテーだね。

 人間は虚構を信じられるという能力によって、他の生物とは違う発展をしてきた、というのはよく聞くお話。サピエンス全史。読んでない薄い知識。でもすごくわかる。フィクションは社会に大きな影響力がある。物語だけじゃない、権力や経済といった概念だってフィクションだし、感情だってフィクションだ。あると思っている架空の存在。手にとって触れる物質的な何かでは無い。しかし人間にはそれが必要だ。それが欲しくて皆生きている。社会を発展させるために必要だったフィクション、しかし同時に人間を滅ぼす力にもなり得るぞ、ということをこの物語で見せつけられたように思う。コメディのようでサスペンスのような映画。

 個人的に最高(で、最悪)だったのが、アリアナ・グランデが彗星衝突派として歌い出すシーン。レオナルド・ディカプリオが演じる博士が「隕石はある!信じてくれ!」って集会で叫んでるんだけど、その状態がまず酷いなって話よね。集会してる場合か?危機への対応よりも、感情の一体感を得たい人々が集会を作っているのは明らかだ。悪いSNSそのもの。共感したい、大きな敵に立ち向かっている高揚感を得たい、そういう集会。そんで博士の訴えの後にアリアナ・グランデが歌い出すの。もう歌なんて最悪じゃん。フィクションにおける最もエグいガソリンじゃん。それを彗星衝突派の側でやるのが酷い。歌ってる場合か!「空を見よう 科学者の話をきいて」とか歌詞に盛り込んであって笑えない。ホントすごい気持ちになった。どいつもこいつも事実への対応よりもフィクションへの没入感のためにお互いの陣営にいる。

 この社会にたくさんある仕事ってさ、フィクションを作り出す事が目的の一部になってると思うのさ。例えばスマートフォンみたいな製品を作る仕事だって、製品そのものには価値が無いじゃん。スマホによってもたらされる情報や価値、生活様式などがその価値じゃん。だから仕事をするって事は、少なからずフィクションに加担することだと思うのね。で、それが社会や人類を破壊する要因にもなる。丁寧に仕事をしなければ、と思って残りの作業に取り掛かるのでした。