北欧神話:神話を読む度に思うのだが


 北欧神話を読む。オーディンだとかスレイプニルだとか、ユグドラシルだとかああっ女神さまっとか…。北欧神話の断片というのはゲームや漫画に多々引用されて知っているけれど、実際はその神話の本体を読んだことが無かったわけで。神話というのは、宗教が根付く以前から存在して国民性を左右する重要な要素だ。神話を読んで面白いのは、異なる国で生まれた物語のはずなのに洪水伝説に代表されるような共通性が見られることだ。最も有名な洪水伝説といえば「ノアの箱船」。またギリシャ神話にも似たような話があるし、勿論北欧神話にも洪水の話が登場する。北欧神話の中では神々の黄昏と呼ばれるくだりに大蛇によって引き起こされるとされている。これは人類の共通体験なのだろうか?

北欧神話 (岩波少年文庫)

北欧神話 (岩波少年文庫)

 初北欧神話という事でかなり軽めに岩波少年文庫。少年少女向けの軽いテイストになっているけれど、北欧神話の全体像を掴むのには良いのでは。というか神話なんて口伝なわけだから、こういった若年層に分かりやすい形になっているべきだと思うのだけどどうでしょ。大人が子どもに伝えていく様なものでしょ。こう、晩餐を囲んで家長が伝え聞かせるみたいな。個人的にはユグドラシルだかトネリコの木に首をくくったオーディンルーン文字を産み出すという有名なくだりが含まれていないのは残念。

 しかし神話の読む度に思うのだが、「神」なんて言っても憎しみだとか欲だとか、醜い感情が溢れているのだよね。北欧神話でもいきなり巨人を騙して壁を造らせるし、ロキの存在なんてのは悪そのものだし。神話にはかならず邪神も存在する。「神」という存在を崇拝するために人間が神話の産み出したのだとすれば、何故神性にブレを含ませたのかなぁ…。邪神の存在は神性を高めるために必要な要素ではあるけれども、神が様々な煩悩に振り回されるエピソードは何の役に立つのだろうか。

 神話が神を崇拝するための聖典、という前提が間違っているのかも。「神話」と言っても宗教性や神性を布教するモノではなくて、単なる昔話程度なんだろう。「神」も世界の創造者として存在するだけで、勿論人間のような醜い感情があって当然なのか。