楽しければいいんだよ、では無いということ

 先日ある人と会ったときに、終始自分の「生きる哲学」について充ち満ちた話を聞いていたのだけど、どこを取っても「今楽しければそれが最高」という感じの行き方が伝わってくる人だった。確かにこの今楽しけれ良い、という考え方はそんなに悪くない。全ての瞬間が楽しく、それを繰り返していけば何の不満も無く毎日を過ごせることは間違いない。

 でもそれでいいのか。どうしてもその主張に完全に同意できないのはそれで何が残るのかという所が抜けているような気がするからだ。もの凄ーくバカな喩え方をすると、快楽のためにセックスを繰り返しても、あとに残るものが何にも無くて、その瞬間は確かに楽しいかもしれなけれど、そうすると自転車操業的に次の「楽しい」を得なければならない。何か残していかないと。喩えで挙げたことで言えば、どこかで子供が出来る、という結果に落ちないと。何かを残すことで、そこに至るまでの達成感、充実感、幸福感…とまぁいろんな事が考えられるけど、それを半永久的に、何度でも取り出すことが出来る気がする。

 そんなことを社会人になって強く思うのです。と、同時に情報系の大学でコンピュータの勉強して、素直にPGやらSEやらになるのがどうしても嫌だったのは、そういうことなのかもしれないということにやっと整理が付いてきた。バイトしながらスキルアップしてデスマして、瞬間瞬間はもちろん楽しかったけれど、なんとなく何か残したような気がしない。そりゃITによって大いなる影響を社会に与えた人もたくさんいるけれどさ。技術的な移り変わりが激しすぎるよ。自分の苦労したものがあっという間に形骸化していく。

 最期の瞬間に「我が人生に一片の悔い無し!」と片手を天に突き上げて昇天するには、生まれた意味を知る、つまり某かの影響を社会に与えないと、自分はラオウの領域まで行けないと思うんだわ。

 んー。がんばろう。