発信する意識を持つことから始めよう

 いくつかのブログで話題の「発信力 頭のいい人のサバイバル術」を読んだ。

発信力 頭のいい人のサバイバル術 (文春新書)

発信力 頭のいい人のサバイバル術 (文春新書)

 世間という実体のあやふやな神様が支配する日本では、生まれた頃から発信力というものを極力抑えて育てられる傾向があるように思う。「出る杭は打たれる」「沈黙は金なり」「果報は寝て待て」…等々、現代的な価値観から言うと食い違いが出てきているこれらの言葉も、結局日本人の行動パターンの中に根強く残っているのは間違い無い。『表現の意欲を持たない』我々は日本的価値教育が成功した生産物とも言えるわけか。声のデカイ人間に自然と追随してしまう日本における『受信社会の特質』、テレビや新聞、ネットで得た情報を盲信してしまうのもこの特質の為と言える。

 個人的に本書を読んで、今後意識しようと思ったのは以下の部分。

何かの情報に接するとき、書こうという意識がないと通り過ぎていく。

情報を利用しようとすること、盗もうとすること、ヒントにして展開させようとする「意識」こそが発信力を高める、ということ。

受信力をつけるためにもっとも効果的なのは、発信力をつけることだ。そしてまた、発信力をつけるためにも、受信力は必要だ。

 ここで順番を間違えてはいけないのは、受信力を高める努力をするだけでは発信力は伸びないという事だ。受信一辺倒であるという日本の国語教育がもたらした現状から、そのことは容易に導ける。発信力を高める努力をする副作用で受信力が高まり、その相乗効果でより発信力が高まる、発信と受信はそういった関係になっている。

 そういう意味では、自分が糞ツマラナイ文章をここに残すのは、まさに発信力のトレーニングという事を意識しての事だ。そのことは過去のエントリにも書いた。ブログにエントリを書こうと思って本を読むこと、映画を観ること、音楽を聴くこと、その他あらゆる感覚をブログに残そうとする事は、その時の感覚を言葉に置き換える作業であり、ここに発信のトレーニングが発生する。発信力を付けたきゃブログを書け?少なくとも無いよりはマシか。もっと沢山の人の目に触れて、ボコボコにされてるとさらに価値が出てくるんだけどなぁ…。

国レベルのダサイクル

 誰かの評価の対象になる、という部分に触れて。

おもてに表れないものは存在しない

これも先に挙げた昔書いたのエントリの中で言ってる事と完全に一緒。発信力ってのは、そのものの行為、発信することでしか養うことは出来ないんだろうな。すっかり受信体質の自分含めての日本人にとっては、その行為のハードルが結構高くて、「出る杭打たれる」という意識、大きな声をあげて反撃されるのを極度に恐れてる。世間様に迎合しておけば安心、寄らば大樹の木。物凄く大きなダサイクル*1が国レベルで出来てしまっている。酷い。

 ちなみにこの話で思いだしたのは以下の有名なコピペ。(真偽はともかく)まさに指摘されている日本人的な性質が読み取れる…。

OLだった頃、会社で働いていた日本に超詳しいベルギー人が言ったことに納得してた。
日本文化は身内受けの凝り性文化だそう。
外国文化に負けまいとしているのではなく、
世に意図的にインパクトを与えようとしているのでもなく、
今ここにいる同じ価値観を共有する仲間からの喝采を浴びたいと考える。
その結果、同じものを志す者同士の「これすごいだろ、おもしろいだろ」合戦が始まり、
そこで生み出される物が自然と研ぎ澄まされていく。
でもその競争は、敵対的なものではなく、お互いを尊敬しあいながら、静かに深く進行していく。

そしてある日、偶然目撃した異文化出身の人間(外国人)から、
それがすごいものであることを知らされる。
ほとんどの日本人はその日が来るまで、自分たちが作り上げた物がすごいものとは知らない。
もろもろの伝統文化、芸能、電化製品、アニメ、他、みんな同じパターンで世界に広まっていった。
だから、日本がここまで発展してきたのも必然的なものだし、
この精神が衰えない限り、これからも日本は誰に頼まれることもなく、
知らないうちに勝手に世界にインパクトを与え続けていくだろうと。

『偶然目撃した異文化出身の人間』がいなければ、『すごいもの』はこの地球上に無い事になってしまう。日本人の自尊心をくすぐる話だけど、あんまりいい話とは言えなくなってきてる。

余談

 じゃあ四六時中発信してるtwitterやリアルっていう声の出し方は凄いトレーニングじゃん!ってのはまた別の話かなと思う。というのは、「眠い」とか「腹減った」とか「ただいま!」とか発信になってない場合はまず問題外。これは単なる状況報告。受信した情報を元にそこに自分の思考を媒介させて発信しないと意味が無い。受信と発信の二つをセットで行う事が両方の能力を効果的に伸ばすのだ。
 それと長さの問題もあると思う。勿論長ければ偉いってわけじゃないけれど、1,2行程度だと情報そのものを投げっぱなしに発信し易い。思いついた順からつぶやいて行くのもアリだと思うけど、結論まで辿り着いたら、最初からまとめるって作業をやはり行わないと考えた事は消えて行ってしまう。

最後に

もっと文章がうまくなりたい。

*1:ダサイクルについてはネムルバカを読むことamazon:ネムルバカ