空気の停滞

 年が明けて恒例の駅伝を観る毎日。ニューイヤー駅伝からの箱根駅伝。これは鉄板。それが終わると本を読む時間がスタートする。正月のテレビはつまんないよ。あれ、正月以外は面白いんだっけか…。そうだな、正月以外もテレビつまんなかったわ。すべての時間でドキュメンタリーか、歴史ものか、タモリさんが出てる番組やってればなぁ…。ずっと見てられるのに。

 大晦日恒例の朝生を見てたんだけど、想像以上にひどい老人ばかりで日本の行く末が不安である。議論が発散しすぎるし、隙があれば自分の話をしようとするし。やめよう。自分の得意な話ばっかりするのやめよう。あと野党政治家がすぐ政権批判するのもやめろ。それしか能が無い馬鹿に見える。三浦瑠麗にビジョンを提示しろって言われて結局何もできなかったじゃねえか。ああいう議論の番組に野党政治家を複数入れるのやめろ。老人ばかりなのもだめだ。過去の経緯とか失敗の話とかばっかりするのもやめろ。そこから学ぼうとしてる話なのかもしれないけど、結局その話が責任を押し付ける話にすり替わる。できない理由を延々積み上げるのもやめろ。実現するために必要な提案をしろ。落合陽一が指摘する「空気の停滞」をデモンストレーションようだ、と本人が感じてる。視聴者も感じてるよ!


朝まで生テレビ! 元旦スペシャル 2018年12月31日

 老人たちは現状の分析は得意なのかもしれない。過去の蓄積があるからね。でもなぜかその蓄積を未来を変える為の力に変えようとしないというところに老人たるエネルギーの無さを感じる。何かを動かそうとする姿勢、何かを変えてくれるかもしれないという期待、そういうのが人望を集めることに何故気づかないのか。ちなみに政権を打倒しようとする動きは何かを変える姿勢にはみえねーからな。ただ足を引っ張って現状を停滞させる邪魔者にしか見えません。

 ちなみに次の日の夜にみた「ニッポンのジレンマ」という番組では、最後の古市憲寿がまとめていたように、未来の話がされていて好印象。誰かが喋ってるときに無理やりその順番を奪ったりしないし。コメンテーターが若い人たちばかりだとこうなる。対照的な結果。まぁひとりだけ、精神論で具体性がいまいち欠けること言ってて、ダメな意識高い系かなとも思ったけど…。

 世の中が豊かになってほしいのだ。前向きに社会を変えようとするエネルギーに溢れてほしいのだ。その行動が正解でないにしても、その姿勢や行動によって世の中を豊かにしようとする意思が溢れてほしいのだ。そういう社会になってほしいし、そして自分もそのエネルギーの一端となるように生きていきたいのだ。自分には政治とか、世の中を刷新するような研究とかそういうの無いけど、仕事をしてその結果が社会の歯車として組み込まれている以上、その行動は無関係では無い。誰しもそうなのだと思う。停滞した空気を動かすのは、ひとりひとりの意思だろう。きっと老人にはできない。老人にはそのエネルギーが無いからだ。やがて我々もそうなる。現在は老人の多い社会であるから、空気を動かすことのできない人々が多いだけのこと。若者もそのガッチリ固まった空気の中で動きにくい。しかし動かねばならない。世の中を豊かにしたいのだ。

 …と、年始の決意みたいな感じで締め。今年もよろしくお願い致します。頑張ります。