あわれ彼女は娼婦:演劇の肝は台詞のリズム

 と言うわけで木曜日に東京へ行けなかったことの埋め合わせでWOWOWで「あわれ彼女は娼婦」を見る。果たして埋め合わせになっているのかはかなり微妙だけど。やっぱり何事もライブ感が重要だ。蜷川幸雄氏の演出は*1客席側からバンバン役者が登場して、きっとあの場に座ってみていたら、その劇中に巻き込まれているような感覚になるのだろうなぁと思う。やはり実際に見ないと。

 演劇の凄い所は、BGMの殆ど鳴らないところにあると思う。何故鳴らないかという理由は、演出上の意図なのか、鳴らすと台詞が聞こえなくなるからなのかは分からないが、とにかくBGMなしで場が自然に繋がっていく演技力は凄い。BGMが鳴らなくて気にならないのは、台詞で一気に捲し立てて行くからだろう。だけどこの技術は単純なようで、難しいはず。役者に求められるスキルは勿論、演出家に求められる時間空間力も相当になると思う。

 下記は予想に過ぎないのだけど、基本的にBGMの鳴る作品、ドラマ、映画、アニメーション等々は必ず会話の無くなる部分が存在していて、この場を台詞無しに物語を進めていくための手法としてBGMが流されている。何故舞台演劇は会話が無くなる場面が少ないのかと言うと、場面転換が少ないためだろう(場面転換は時間がかかるので少なくせざるを得ない)。先に挙げたドラマ、映画、アニメーションなどの映像作品は、場面転換が多く、映像の力だけでその場を繋ぐことが出来る。またその潤滑剤としてBGMが活用される。一方演劇は、舞台美術の力だけではどうしても間が持たない(変化に乏しい)。だから会話で繋ぐ。そういえばガンダムの富野監督も昔そんなことを言っていた。戦闘中に会話するなんてあり得ない。でも間が持たないから会話させる。演劇的な手法を取り入れたんだ、と。(確かどこかで言っていた)

 なんだか言っていることが散漫になってしまって気持ち悪いのだけど、とにかく演劇って表現手法には敬意を払うべき力があるなぁということ。近いうちに必ず生で見たい。


 散々ご託を並べておいてなんだけど、演劇について最近興味を持ったばかりで何を偉そうなことを言ってんだ俺…と思いつつ記す。

*1:もしかして氏に限ったことではないのかもしれないけど