文章を書くことの時間感覚について

 先日、会社にとある電話がかかってきた。中学生らしいのだが、どうやら仕事についての調査?課題?をしているらしい。仕事上のやりがいだとか苦労だとか、大切にしていることとか、そういうふんわりした(そして最も困る)質問が投げられた。未来ある若者の為であるし、エンタメ商売の我々のお客様でもある。会社はそのアンケートに応じることにしたらしい。自分が応対したわけではない。しかしその課題はおれのところへやってきた。うーむ。めんどくさい。ただ思えば自分が小中学生の頃も、似たような事をして大人の仕事を見せてもらったことがある。これは大人として応えねばなるまい。子供の声がうるさいとかなんとか言って公園を廃止させるような邪悪な大人にはなりたくない。

 複数の質問があって口頭で伝えられた。メールとかにしろ。きっとやり方がアップデートされてないんだろうな。んで5,6個ほど質問があるのだが、13時ころに問い合わせがあって、16時頃までに回答が欲しいという。おい君たち。というか先生。そんな【緊急】の締め切りにするな。俺たちは暇じゃねえ。暇じゃねえけど対応するんだ。そんな忙しいど真ん中時間を割いて今すぐ無償で質問に回答しろというのはどういう了見か。授業中に電話かかってきて、放課後までに「授業をする際に大切にしていること」をご回答ください、っていう感じの無茶なんだが。よく考えてよもう。

 いや対応したけどさ。興味をもってわざわざ電話してきてくれたのでしょう。こんな誰にも伝わらんようなマイナーな仕事を見つけてさ。それはありがとうね。でも文章を書くって結構大変なのよ。ちゃんと考えて、読む人のこととか、求められてることとか、伝わるように噛み砕いたり言い換えたり、結構時間使うの。そして本当は無償じゃないの。でも社会学習の一環なんだもんね。お金くれなんて言わないよ。だから時間はくれ。忙しくないタイミングでやるからよ。1週間は期間を設けてください。忙しくないタイミングなんてないからきっと締め切りギリギリに作業するけどよ。

 善意で対応したけど、この課題やらせてる先生たちはその善意につけこんでませんか?教育だから対応すべきでしょってそういう武器の振りかざし方は良くないよ?信用されなくなるじゃん。共助だろ!とか言って図々しい顔してる老人みたいにさ。

 ところで仕事上で大切にしてることってめっっっっちゃくちゃふんわりしてる質問よな。改めて。そんなことは無限にあるんだけど、具体的に文章にしろと言われると難しい。感覚に溶け込んでいるのだ。手順の一つ一つに意図があるのだけれど、そんなん説明してたらキリがない。そして結局のところ共同作業の円滑さ、意思疎通の大切さみたいな、社会性動物たる人間にとって必要な要素にたどり着く。いやそれ仕事とかじゃなくても大切やんけ、と。そうするとこの「コミュ力」みたいなのは、生活していく上で基本的に必要なやつだから除外した方がいいのかも、とか思っちゃうじゃん。「仕事をする上で大切にしていることはなんですか」→「睡眠です」「食事です」「健康です」「生命活動をしていることです」そういうめちゃくちゃ手前の前提条件じゃなくてさぁ…って話じゃん。「コミュ力」もそれなのよ。だから就活でコミュ力なんかアピールするのは他に何もねえのかよって気がしてしまう。コミュ力なんて最低限あるのが前提なんだよ。なんのための集団生活なんだよ。コミュ障って言葉で自分をガードするな。そんなんぼっちちゃんみたいな突出した才能がある人間がコミュ障なのは笑えるかもしれないが、我々凡人はみんなで集まって大きなスライムになるしかないんだ。イキって孤独になるな。死ぬぞ。