今の人らしいねぇ…って言われた

 以前の記事で書いた人とまた会って、その時のことを「今の人らしい質問」と評価された。「今の人らしい」とはなんと悔しい評価だろう。時代が与える強力な流れに逆らって飛び抜けた個性を勝ち得ることは、凡人である俺には出来ないのか!

 「今の人らしい」という言葉の意味を考えてみたい。その言葉は、結果を得るため最短距離を得ようとする傾向がある、という意味で用いられた。効果を体感し難い遠回りよりも、実利的なテクニックを求める傾向がある、ということだ。確かに我々の世代は、結論までの最短距離を導く手段を山のように積み上げている。例えば大学に進学することはその最たるもので、就職という一つのゴールに辿り着くための、有効な手段として大学教育は存在している。勿論大学自体は、過去から存在しているけれど、とにかく目的(例えば就職)の為の手段として、通過地点という性格が強くなっているのは間違いない。何故ならそれこそが社会の要求でもあるからだ。また言うまでもなく、結果への最速移動手段がコンピュータやインターネットであることは疑いようが無い。そんな現代が、我々に短絡的な思考を求めさせるのだろうか?

 しかしこのままネガティブイメージの「今の人らしい」を受け入れる訳には行かない。何故なら目的への最速手段を渇望すること、それは今の昔も変わらない、若者の当然の欲求なのだから!つまり「今の若い奴は…」というフレーズが、古代から延々と繰り返されてきたように、若者の行動は繰り返されているのではないのだろうか。ゴールへの手がかりを得ることで、途中回り道が必要なことが分かったり、最短距離を行ったことによる失敗を繰り返して、やがて理解するしか手段は無いのだ。

…と屁理屈を並べて自分を擁護してみるが、正直凹むなぁ…。あーあ。